なぜ、美はこれほどまでに人の心ん惹きつけるのであろうか。
とりわけ、女たちの心の真ん中に存在し続けるのだろうか。
自分の姿かたちが簡単には変えられないからこそ、『自分と他人が入れ替わったら』という想像は、私たちの胸を騒がせる。
自分が、現在の姿でいるということに、本当は何ら必然性はない。
今の姿でなかったらどうだったか、実はここにこそ、私たちの命の本義がある。
自分は、今と全く違う自分であったかもしれない。
そのように想像する事が私たちの命の質を高めるのは、生きるという事がもともと『どうなるかわからない』という偶有性に満ちているからである。
自分がどうなってしまうかわからない、それでも構わない、と受け入れて前に進む事によって初めて、切り開かれる道がある。
だから本当は、それがどんな価値があるものであっても、特定の状態にあるということ自体に生きる上での意味が見いだされるのではない。
『変化』する事にこそ意味がある。
『自分がどうなってしまうかわからない』という事態にどう向き合うか、ということが一番大切なことなのである。
一瞬の気付きによって、世界が今までとは全く違った場所に見えるということはある。
内面の変化のスピードは、外見とは比べものにならないくらい速いのだ。
私たちの心は、ぶるぶると震える原形質のように、外界とやりとりをしながら常に変化し続けている。
そのような変化の積み重ねがやがて、必ず外見にも表れる。
見かけを取り繕うことばかりに執心していると、命そのものの可能性から外れていってしまう。
『私は、今の自分とは全く違う人であったかもしれない』
『全く違う人になれたかもしれない』
と思うことで生まれる胸のざわめきこそが、生命を育み、人を成長させる。
ふと、目にとまった文に心惹かれブログを通してご紹介致します